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御文章2帖目8通について

Filed under 未分類   |   Posted 8月 31, 2012   | 

親鸞会で親鸞聖人の教えを聞かせて頂きますと、よく

蓮如上人の御文章のお言葉が出てきます。

中でも、よくお聞きするのは、2帖目8通のお言葉です。

「それ十悪五逆の罪人も、五障三従の女人も、空しく皆、

十方三世の諸仏の悲願に洩れて、捨て果てられたる

我ら如きの凡夫なり。ここに弥陀如来と申すは、三世十方

の諸仏の本師本仏なれば、久遠実成の古仏として、

今の諸仏に捨てられたる末代不善の凡夫、五障三従の

女人をば、弥陀に限りて、我ひとり助けん、・・・・」

これは、どのような意味か、親鸞会で聞いた内容を、

書きたいと思います。


 

一向専念無量寿仏と御文章

Filed under 未分類   |   Posted 1月 4, 2012   | 

約2600年前、インドで活躍されたお釈迦様が、80歳で亡くなるまで説かれた教えを

仏教といいます。そのみ教えは、七千余巻の一切経に書き残されています。

その仏教の結論は、

「一向専念 無量寿仏」 です。

釈迦は、この八字を教えるために、仏教を説かれたのです。

「無量寿仏に一向専念せよ」 ということですが、まず、無量寿仏とは、阿弥陀仏の

ことです。大宇宙には数え切れないほどの仏様がおられますが、その本師本仏が

阿弥陀如来です。たくさんの名前をもっておられます。本名は「阿弥陀仏」ですが、

次によく使われるのが、無量寿仏です。

阿弥陀仏一つに向け、阿弥陀仏だけを専ら念じよ、これが仏教の結論ですが、

なぜ、お釈迦様はこんなことを仰言ったのでしょうか。

釈迦の教えをそのまま伝えられた方が、親鸞聖人であり、蓮如上人でありますから、

蓮如上人の書かれた御文章にも、このことしか書かれていません。

親鸞会では、各地の会館で、ご法話がひらかれています。

親鸞聖人の本当の教えを知りたい方は、親鸞会のご縁に参加されてください。


 

御文章と親鸞学徒

Filed under 未分類   |   Posted 10月 16, 2011   | 

親鸞聖人のみ教えを、聞き、学び、伝える人を、親鸞学徒と言います。

親鸞学徒は、自分の考え、体験を語りません。

500年前の蓮如上人は、常に、親鸞聖人の教えばかり伝えてゆかれ

ました。 蓮如上人の書かれた御文章には、

「この蓮如は・・・」 の記述はなく、「聖人一流の御勧化の趣は~」

「祖師聖人御相伝一流の肝要は・・・」 と、書かれています。

この本道を進むのが、親鸞会です。

浄土真宗親鸞会は、群賊悪獣悪知識を切り捨てて、ひたすらこの

本道を歩んでいきます。


 

蓮如上人と御文章と、聴聞に極まる

Filed under 未分類   |   Posted 8月 30, 2011   | 

阿弥陀仏に救われるには、どうすればよいのか?

後生の一大事解決するには、どうすればよいのか?

人生の目的を達成し、絶対の幸福になる道は?

私たちの最も知りたいことについて、御文章を書かれた

蓮如上人は、

「仏法は聴聞に極まる」

と、明快に答えられています。

「聴」もきく、「聞」もきく、だから、「きく一つ」 とも言われます。

「聴」 というきき方と、

「聞」 というきき方とは、まったく異なります。

どのように違うのでしょうか。

親鸞会では、真剣な聞法が勧められています。

二千畳、その他、全国各地の親鸞会の会館は、私たちが

聴聞して、出世の本懐はたすためのものなのです。


 

御文章と仏願の生起本末

Filed under 未分類   |   Posted 7月 31, 2011   | 

私たちが人間に生まれてきたのは、阿弥陀仏の本願に救われて、

絶対の幸福になるためです。 本師本仏の阿弥陀仏は、

「すべての人を、必ず助ける、絶対の幸福に」 という本願を建てて

おられます。本願とは、誓願ともいい、お約束のことです。

しかも、一念(きわめて短い時間)で救う、という本願です。

この一念の救いは、弥陀の本願の特徴の中の特徴です。

救いに3秒かかっては、あと1秒の命しかない人は助かりません。

今死なねばならない、という短い命の人に照準を合わせて、

弥陀は本願を建てておられるのです。

では、そこまで、どのように進ませて頂けばよいのでしょう。

御文章を書かれた蓮如上人は、仏法は聴聞にきわまる、と仰せです。

次回に続けたいと思います。

御文章の内容は、親鸞会で聞くことができます。

御文章には、親鸞聖人の教えがそのままかかれています。

親鸞会で聞かせて頂きましょう。


 

御文章と念仏

Filed under 未分類   |   Posted 6月 28, 2011   | 

親鸞聖人の教えといえば、

「念仏さえ称えておれば、死んだら極楽、死んだら仏」

と思っている人がほとんどです。寺でもそのような話が

なされています。

しかし、これはまったく親鸞聖人の教えではありません。

親鸞聖人の教えをそのまま伝えられた蓮如上人は、

「聖人一流の御勧化の趣は、信心を以って本とせられ候」

と、信心一つで助かる教えが、親鸞聖人の教えであると

繰り返し書かれています。

そして、「ただ口に念仏ばかりを称えていても助かり

ませんよ」と、何度も書かれています。

信心正因、称名報恩、

この親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人を一貫している

教えこそ、真実の仏教であり、浄土真宗親鸞会でも、

このことばかりが教えられています。

全国各地の親鸞会のご法話に参詣してみてください。


 

御文章と苦悩の真因

Filed under 未分類   |   Posted 6月 1, 2011   | 

苦悩の真因は、「無明の闇」と言われる心です。

無明の闇とは、後生暗い心であることをお話しました。

100%確実な未来である後生(死後)が暗い心です。

では、なぜ、後生が暗い心が、苦しみの根元なのか。

未来が暗いと現在が暗い。

100%確実な未来である後生が、あるのか、ないのか、

ハッキリしないということは、お先真っ暗な状態です。

現在安心できるはずがありません。

真っ暗がりの中を、目隠しして走っているようなもので、

不安でかないません。

この無明の闇のことを、疑情とも、雑行雑修自力の心、

とも、二心、とも言われているのです。御文章の中にも

繰り返し出てきますが、みな同じ心です。

御文章の正しい意味を、親鸞会で聞いてください。

親鸞会では、二千畳で、毎月、本当の親鸞聖人の

教えが、とかれています。


 

御文章と、後生暗い心

Filed under 未分類   |   Posted 11月 18, 2010   | 

本師本仏の弥陀は、すべての人間の苦しみの根元は、

後生暗い心一つであると、五劫の思惟の結果、見抜かれました。

そして、18番目の本願に、その後生暗い心を必ず晴らして、

大満足の心にしてみせる、と誓われています。

では、後生暗い心とはなにか。

後生とは、来世のことです。

来世と聞くと、ずーっと遠い先のことで、自分とは関係のないことと

思っている人も多いようです。

しかし、何かのことで、吸った息が吐き出せなければ、後生であり、

来世なのです。

今年と来年は、だいぶ差があるように思いますが、12月31日午後11

時59分59秒、そしてその次の1秒で、今年が来年に変わります。

今生と後生、来世とは、吸う息吐く息、ふれあっているのです。

次の瞬間から後生がはじまるかも、しれません。

しかも、100%確実な未来です。100年も生きる人はほとんどいま

せんが、100年といっても、あっという間です。だから、全人類の

100%確実な未来なのです。無関係な人は、一人もいないのです。

これほどの、大事はないのではないでしょうか?

昏々と眠り続ける大衆に、釈尊、親鸞聖人、蓮如上人方は、

警鐘乱打されているのです。

その死んだ後が、真っ暗闇、暗い心を、後生暗い心といいます。

次回につづけましょう。

親鸞会では、後生暗い心について、教えられています。

そして、その解決の道、弥陀の本願もまた、親鸞会で教えられ

ています。


 

御文章と教行信証と一念

Filed under 未分類   |   Posted 10月 10, 2010   | 

「一念とは、信楽開発の時尅の極促をあらわす」 (教行信証)

一念について、親鸞聖人が、教行信証に解説されたお言葉です。

「信楽」とは、「しんらく」とか「しがらき」とは読まず、「しんぎょう」

と読みます。

阿弥陀仏は、18願に、「すべての人を、必ず、信楽の心にしてみせる」

というお約束をされています。ゆえに、弥陀の18願を、至心信楽の願

ともいいます。

「信楽」の「信」とは、「破闇」(はあん)ということです。

弥陀は、「闇を破ってみせる」と、誓われています。

この闇とは、無明の闇のことです。無明の闇とは、明かりが無い、暗い

心のこと。だから、闇、と言われています。何に暗いのか、といいますと、

後生暗い心のことです。

では、後生暗い心、とはなんでしょうか。次回に続けましょう。

親鸞会では、弥陀の本願一つが明らかにされています。

親鸞会で、弥陀の本願を聞きましょう。


 

一念と御文章

Filed under 御文章・教えいろいろ   |   Posted 9月 10, 2010   | 

「一念」 が、わからなければ、親鸞聖人、蓮如上人の教えは、

まったくわからない、と言ってもよいでしょう。

「たのむ一念のところ、肝要なり」

とも、蓮如上人は仰っています。仏教に、「要」(かなめ)と言われる

ところはいくつかありますが、要の中の要、肝要は、たった一つです。

ですから、親鸞聖人の教え、仏教において、「一念」 以上に大事

なことはない、ということです。

釈迦の一切経も、この一念におさまります。

一念をひらかれたのが、一切経です。

親鸞会では、常に、「一念」 があきらかに説かれています。

では、一念とはなんでしょうか。教行信証に親鸞聖人は次のように

おっしゃっています。

「一念とは、信楽開発の時尅の極促をあらわす」

これについて、次回、ご説明しましょう。

親鸞聖人の本当の教えは、今日、親鸞会でしか、聞くことは

できないでしょう。