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御文章について

Filed under 御文章について   |   Posted 6月 18, 2010   |  Read More

『南無阿弥陀仏』の名号について、お話していました。
お釈迦様は、今から約2600年前、インドで活躍されました。
35歳で仏の覚りをひらかれ、80歳でお亡くなりになるまで45年間、
説かれた教えを、今日仏教といい、そのみ教えのすべては七千余巻
の一切経に書き残されています。
この一切経にお釈迦様は何を教えられているのか。
一言でいうと、南無阿弥陀仏の解説書なのです。
南無阿弥陀仏を薬と譬えますと、その効能書きが一切経です。
お釈迦様は、一生涯、南無阿弥陀仏の薬に、どんな効能があるか、
説き続けられましたが、お亡くなりになるときに、「説き尽すことが
できなかった」 と仰言っています。
大変な宝ですから、正信偈には、「功徳の大宝海」とも「本願の大智海」
とも、親鸞聖人はお書きくださっています。蓮如上人の御文章にも、
同様のことが繰り返し教えられています。
親鸞会の二千畳で私たちが聞法する目的も、ひとえに、この大功徳を
阿弥陀如来から頂くためであり、無上甚深の功徳利益の長者にさせて
いただくためです。
ゆえに、一座の聞法をおろそかにすることは、何千万円以上の損を
していることになるのです。 親鸞会で、真剣な聞法を、ともにさせて
いただきましょう。

Filed under 御文章について, 御文章・始まり, 御文章・5帖   |   Posted 7月 6, 2009   |  Read More

浄土真宗親鸞会でよく拝読される御文章。その中でも有名な白骨の章に『阿弥陀仏を深くたのみまいらせて』と書かれています。
阿弥陀仏という仏さまは、お釈迦さまをはじめとした全ての仏の先生の仏です。御文章には「阿弥陀如来は三世十方の諸仏の本師本仏なり」と教えられています。この地球上で仏のさとりを開かれたのはお釈迦さまだけですが、大宇宙には地球のようなものが無限といっていいほど多くあります。
その数限りない地球のようなものに、仏さまが現れており、これを三世十方の諸仏、といわれているのです。そのお釈迦さまをはじめとした大宇宙の仏方の本師本仏が阿弥陀仏という仏さまなのですが、本師本仏とは、師匠、先生という意味ですから、阿弥陀仏はすべての仏の先生なのです。
阿弥陀仏は、『すべての人を、必ず絶対の幸福に助ける』という、とてつもないお約束をなされています。たとえどんなことが起きても、絶対に崩れることのない幸福を『絶対の幸福』といいます。“すべての人を、あっという間もない一念で、いつ死んでも極楽参り間違いない大満足の身に救う”と、阿弥陀仏は誓っておられるのですね。
世の無常を切々と訴え、“弥陀一仏を信じて、早く、人と生まれし本懐を果たしなさいよ”というのが、この『白骨の御文章』に込められた蓮如上人の御心であるのです。そんな御文章の中でも特に有名な『白骨の章』が書かれた背景には、悲しい出来事があったそうです。その経緯が、『御文来意鈔』に記されています。
上人が75歳の御時、山科本願寺の近くに青木民部という下級武士がいたそうです。17歳の娘と、身分の高い武家との間に縁談が調ったので、民部は、喜んで先祖伝来の武具を売り払い、嫁入り道具をそろえたそうです。ところが、いよいよ挙式という日に、なんと娘が急病で亡くなってしまい・・・火葬のあと、白骨を納めて帰った民部は、『これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か』と悲嘆に暮れ、51歳で急逝。
そして度重なる無常に、民部の妻も翌日、37歳で愁い死にしてしまいました。その二日後に、山科本願寺の聖地を財施した海老名五郎左衛門の17歳になる娘もまた、急病で亡くなりました。葬儀のあと、山科本願寺へ参詣した五郎左衛門は、蓮如上人に、無常についてご勧化をお願いします。すでに青木家の悲劇を聞いておられた上人は、願いを聴き入れられ、かくて御文章の『白骨の御文章』が著されたそうです。

Filed under 御文章について, 御文章・教えいろいろ   |   Posted 4月 23, 2009   |  Read More

この世のことを火宅無常の世界と言いますが、生きていると何が起きるかわかりません。
例えばあの107人の命を一瞬にして奪ったと有名な尼崎列車脱線事故。その時に1人1人の悲劇が、『毎日新聞』に連載されました。
そのうちの1人である運送会社に勤める34歳の女性。この人は二人の幼い子供を残して、他界してしまった。事故の前日に、新しい自転車を買い、子供を乗せる荷台を取り付けたばかりだったそうです。
そしてもう1人はプロの照明家だった男性も34歳。大阪狭山市に出勤途中だったそう。配線がきれいで作業が早いと、評価されていた仕事はまさにこれからですよね。家庭では4カ月前に男の子が生まれたばかり。死の間際に、彼の目からは、一筋の涙がスーッと流れたといいます。
兵庫県の美容院店長である三十代の男性は、生前は父親に、『近いうちに、独立して自分の店を構えるんだ、父さんと母さんを立派なマンションに住ませてあげるんだ』と、語っていたそうです。
無常の風に誘われた方々の中で、一体誰が、朝顔を洗っている時に、これが今生最後の洗顔になると思っていたでしょうか。私達と同様に、今日死ぬなんて夢にも思っていなかった人ばかりですよね。無常は私たちの思いや都合などと、一切関係がないのです。『“人や先”ではありません。私が先に死んでいかねばならないのですよ』と親鸞聖人が教えておられたことをそのまま蓮如上人は伝えられているのです。それが御文章です。

Filed under 御文章について, 御文章・始まり   |   Posted 3月 14, 2009   |  Read More

御文章とは、前にも書きましたが5帖80通にまとめられているのですが、1帖目から4帖目までは執筆したとされる年月順、5帖目は時期は不明ですが大切なものがこの御文章に収められています。
そんな御文章の一通目は文明3年(1471)、蓮如上人が57歳の御作であり、四帖目の最後は、明応7年(1498)に上人晩年のお手紙であると言われています。浄土真宗が今日のように、全国各地へ伝えられたキッカケはここで紹介している『御文章』によるところが大きいと言われているのです。そしてその御文章とは『凡夫往生の手鏡』と言われていて、仏教の要が書かれているので手鏡のように常に手元に置いて拝読しなさいよという意味が込められているのだとか。
蓮如上人自身も自分が書いたもの(=御文章)なのに『尊いな』と言われていたそうです。
『うぬぼれている』と思う人もいるかもしれませんが、蓮如上人ご自身がそういわれた理由は、その御文章には蓮如上人ご自身の考えは全く入れずに親鸞聖人の教えをそのまま正確に伝えていることにあるのです。親鸞聖人の教えを聞き学び、お伝えする人のことを『親鸞学徒』と言われますが、蓮如上人はまさに親鸞学徒の鑑だと言われています。その信念は『御文章』に発揮されています。
そんな御文章の内容は、『御文は如来の直説なり』と言われており、まさに御自身の考えは全く入れずに教えをつたえているということで、『尊いな』と言われているのです。

Filed under 御文章について, 御文章・5帖   |   Posted 2月 27, 2009   |  Read More

今日は、前回紹介した白骨の章の内容について紹介したいと思います。
激しい無常を目の当たりにした時に、この『白骨の章』が、人々の心をとらえる理由は、単に『名文』である・・・という理由だけではなく、古今変わらぬ人間の真実が説かれているからだといわれます。
御文章・白骨の章に『それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに・・・』と書かれていますが、蓮如上人は、“人間の有り様”を『浮生なる相』と、言われています。人生とは水平線しか見えない大海原を、あてもなくさまよっているようなもの、と仏教では教えられます。大海原の波にのまれると苦しいので、何かにすがらずにはいられません。そこで、近くに浮遊している丸太や板切れを目指します。
人間で例えると『丸太や板切れ』とは、健康のことや夫や妻、子供、お金、地位や名誉のことを指しています。『すがる』とは、それらをあて頼りにすることです。人間とは常に何かをあて力にしなければ生きていけません。
妻なら夫を、夫なら妻を力とし、子供は親をあて力にし、親も子供を頼りにして生きています。その他にも、自分の命はもちろん、体、財産や金銭、家や名誉、社会的地位など、何かを必ずあてにして人は生きているものですよね。
ではなぜ、人は丸太や板切れに例えられるのかというと、丸太や板切れというのはすがった際の一時は、『ヤレヤレ』とほっとすることができますが、やがてはまた波にのまれ、くるっと回って裏切られますよね。いつまでも安心して、満足を与えてくれるわけではありません。それは浮いている状態だからですね。御文章とはそういったことを書かれているのです。
例えば、医者にかかったこともないという健康が自慢であった人が、たまたま勧められて受けた健康診断で末期ガンにかかっていた・・・という話は珍しくありませんよね。これは、自分は健康だと思っている安心(=丸太)に裏切られたのです。
そして夫や妻や子を不慮の事故、または病気によって亡くしてしまい悲しんでいる人は家族という丸太に裏切られたと言うことですね。『裏切られる。』とは言い方が悪いかもしれませんが、人間は幸せに裏切られては、また別の丸太を求めてすがることを繰り返すのです。きっと人生楽しいことがあるはずだと頑張って生きていくのですが、どこまでいっても苦しみ続け、最後、死んでいく・・・。そんな姿を、蓮如上人は、『浮生なる相』とおっしゃっているのですね。

Filed under 御文章について, 御文章・4帖   |   Posted 1月 25, 2009   |  Read More

御文章をご存知でしょうか。御文章は『御文(おふみ)』ともいわれていて、その御文とは、浄土真宗本願寺八世蓮如上人が、その布教手段として全国の門徒へ消息(=手紙)として出された仮名書きによる法語のことなんです。本願寺派では『御文章(ごぶんしょう)』といい、大谷派では『御文』と呼んでいますね。御文章と言ってもいろいろな呼び方があるのですね。
蓮如上人の孫である圓如という人が、二百数十通の中から、八十通を選び五帖に編集した物を『五帖御文(ごじょうおふみ)』といいます。そのうちの1帖目~4帖目の御文章には、日付があるものを年代順に並べてあって、5帖目には日付が不明なものをまとめてあるのだ教えてもらいました・・・。そのために、4帖目の最後にある、第15通『大坂建立』の章は、蓮如上人の真筆では最後の御文章・・・つまり遺言ともいえるわけです
その御文章の内容をここでちょっとだけですが紹介します。
(前半部分略)
あはれあはれ存命のうちにみなみな信心決定あれかしと朝夕おもひはんべり
まことに宿善まかせとはいいなから述懐のこゝろしはらくもやむことなし
またはこの在所に三年の居住をふるその甲斐ともおもふへり
あひかまへてあひかまへてこの一七箇日報恩講のうちにおいて信心決定ありて
我人一同に往生極楽の本意をとけたまふべきものなり
あなかしこあなかしこ
御文章の4帖目の最後にある、第15通『大坂建立』の最後にこのように書いてあります。