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御文章・無常の風

Filed under 御文章・教えいろいろ, 御文章・5帖   |   Posted 6月 6, 2009   | 

親鸞会よく拝読されている御文章の中に白骨の章といわれる名文があります。その一節を紹介致しましょう。

既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。

一陣の風で消える命の灯・・・
“人は病では死ねない。だが、無常の風に吹かれたら、ひとたまりもない”と言われます。

こんな小話があります。

徳川時代に、谷風という有名な関取がいたそうです。ある日、所用があって野原へ差しかかると、向こうから小さな小僧がやってきて、『関取、一番取ろうか』と、途方もないことを申し出たんだそうです。その有名な関取は『何じゃワシを日の下開山と知ってのことか』と聞くと小さな小僧は『知っていればこそ、一番取り組もうと言ったのだ』と答え、それに対し『生意気なやつ。さあ、どこからなりとかかってこい』と大声で怒鳴りながら取り組んだ。

ところがこの小さな小僧、なかなかの腕力があったそうです。満身の力を込めたが、ついに谷風が草むらの中に投げられてすごく驚いたそうです。『やあ小僧、しばらく待った。この谷風は天下無敵の日の下開山と、われも人も許したものじゃが、おぬしはワシよりも一倍強い。一体全体、おぬしは何者じゃ。名前を聞かせてくれないか』と聞くと『私は谷風よりも強いわけじゃ。あなたが谷風でも私は無常の風じゃもの』と言ったそうです。

かつてあの名大関といわれた二子山親方も、ガンに倒れ、過日わずか55歳でこの世を去りましたね。鍛え上げた肉体も、無常の風を前にしては何の意味もないのです。一陣の風によって、ろうそくの火がたちまち消えてしまうように、私たちの命の灯もまた、無常の風の前にはひとたまりもありません。

御文章では死のことを『無常の風』といい、私たちに無常という厳粛な真実を教えられ、早く、いつ死がやってきても崩れない絶対の幸福の身になりなさいよ、と教えられているのです。
御文章にはよく信心とありますが、阿弥陀仏にこの世で救われて、絶対の幸福になったことを言われています。信心獲得、信心決定ともいわれますが、意味は同じです。


 

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