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御文章の教え・避けられない死

Filed under 御文章・教えいろいろ   |   Posted 6月 28, 2009   | 

私は親鸞会でよく拝読されている御文章について学ぶまでは、御文章に関することだけではなく、浄土真宗のお経(浄土三部経といわれます)について何も知らずに、そもそも浄土真宗とは?くらいの無知さで、自分には全く関係のないことだと思っていました。何ひとつよくわからずに生きてきたわけですが、この御文章を読んでいくうちに親鸞聖人の教えがすごく伝わってきて、生きる目的の大切さは今も昔もなく、全ての人にとって、最も大切なことなんだなと感じました。

そんなきっかけになった白骨の章について紹介しているわけですが、お釈迦様は経典に、『出息入息不待命終(出る息は入る息を待たずして命終わる)』と、説かれています。前にも書いたとおり、ほとんどの人が死とは遠い先のことであって、生と死とは、全く別もののように考えているのです。

ですが、どんな人でも吐いた息が吸えなかったら・・・吸った息が何かの拍子で吐けなかったら・・・その時から後生となってしまうのです。一息一息が、死と触れ合っているということ、生と死がこれほど近いものはないですよね。

「無常の風」とは死のことです。病気になったけど手術して助かった!と言っても、死が少し後れただけで、やがて死ぬ時が必ず来ます。もちろん手術をしたことによって、訪れそうになった死を少しでも先に伸ばせたことはとても幸せなことだと思います。一度は死ぬかもしれないと言われた病気が治ることで、今後『生きる意味』や『生きることの素晴らしさ』を知ることができるので、それはすごく幸せなことなはずです。ですがそれでもいつか命の灯は消えてしまう。それは命ある限り誰にでも待っていること、平等なことなので、決して避けられることではないのです。

日本中の名医や看護師を集めようとも、どんな薬を使おうとも、この無常の風を止めることはできないのが事実なんですよね。テレビなどでも、遺体に向かって身内の人が取りすがる光景が映されることがありますが、『目を開けて』『もう一度笑って』『もう一度何か言って』とどれだけ嘆き悲しんでも、どうしようもない、永遠の別れがやってくるのです。


 

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