浄土真宗親鸞会でよく拝読される御文章。その中でも有名な白骨の章に『阿弥陀仏を深くたのみまいらせて』と書かれています。
阿弥陀仏という仏さまは、お釈迦さまをはじめとした全ての仏の先生の仏です。御文章には「阿弥陀如来は三世十方の諸仏の本師本仏なり」と教えられています。この地球上で仏のさとりを開かれたのはお釈迦さまだけですが、大宇宙には地球のようなものが無限といっていいほど多くあります。
その数限りない地球のようなものに、仏さまが現れており、これを三世十方の諸仏、といわれているのです。そのお釈迦さまをはじめとした大宇宙の仏方の本師本仏が阿弥陀仏という仏さまなのですが、本師本仏とは、師匠、先生という意味ですから、阿弥陀仏はすべての仏の先生なのです。
阿弥陀仏は、『すべての人を、必ず絶対の幸福に助ける』という、とてつもないお約束をなされています。たとえどんなことが起きても、絶対に崩れることのない幸福を『絶対の幸福』といいます。“すべての人を、あっという間もない一念で、いつ死んでも極楽参り間違いない大満足の身に救う”と、阿弥陀仏は誓っておられるのですね。
世の無常を切々と訴え、“弥陀一仏を信じて、早く、人と生まれし本懐を果たしなさいよ”というのが、この『白骨の御文章』に込められた蓮如上人の御心であるのです。そんな御文章の中でも特に有名な『白骨の章』が書かれた背景には、悲しい出来事があったそうです。その経緯が、『御文来意鈔』に記されています。
上人が75歳の御時、山科本願寺の近くに青木民部という下級武士がいたそうです。17歳の娘と、身分の高い武家との間に縁談が調ったので、民部は、喜んで先祖伝来の武具を売り払い、嫁入り道具をそろえたそうです。ところが、いよいよ挙式という日に、なんと娘が急病で亡くなってしまい・・・火葬のあと、白骨を納めて帰った民部は、『これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か』と悲嘆に暮れ、51歳で急逝。
そして度重なる無常に、民部の妻も翌日、37歳で愁い死にしてしまいました。その二日後に、山科本願寺の聖地を財施した海老名五郎左衛門の17歳になる娘もまた、急病で亡くなりました。葬儀のあと、山科本願寺へ参詣した五郎左衛門は、蓮如上人に、無常についてご勧化をお願いします。すでに青木家の悲劇を聞いておられた上人は、願いを聴き入れられ、かくて御文章の『白骨の御文章』が著されたそうです。