御文章と南無阿弥陀仏
Filed under 未分類 | Posted 5月 13, 2010 |
前回の続きです。
「それ南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わずかに六字なれば、
さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には
無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきわまりなきものなり」
(御文章)
“『南無阿弥陀仏』といえば、わずか六字だから、そんなに 凄い働きがあるとは誰も思えないだろう。だが、この六字の 名号の中には、私たちを最高無上の幸せにする大変な働きが あるのだよ。その広くて大きいことは、天の際限のないよう なものである” まず、蓮如上人は、 “『南無阿弥陀仏』といえば、わずか六字だから、そんなに 凄い働きがあるとは誰も思えないだろう” と、私たちの心をズバリ仰っています。 実際、我々は、『南無阿弥陀仏』の凄さがわからないもの ですから、見向きもせず、お金、財産、異性、地位、名誉等 には、飛びついていきます。来る日も来る日も、必死に 求めています。 これぞ、まさに、『ネコに小判、ブタに真珠』。 ネコに小判を与えても、ネコはニャンとも言いません。 見向きもせずに、どっかへ行き、魚の頭に飛びついています。 「バカだなぁ、小判をくわえて魚屋へ行き、 “毎日タイの刺身持って来い!”と言えばいいのに・・・」 と、人間は思います。小判に物凄い値があるのに、ネコには それを知る智恵がないのです。 ブタの鼻先に真珠をぶら下げても、ブタはブー!とも言い ません。エサの入ったバケツに頭を突っ込んで食べている だけです。 ピカソやゴッホの絵では、100億円前後で取引されている ものもあるようですが、私なんかが見ても、どうしてそんな 値段がつくのか、さっぱりわかりません。それは、私に絵の 値を知る智恵がないからです。 同じように、『南無阿弥陀仏』に、それほど凄い働きが あるとは思えないのは、『南無阿弥陀仏』に値がないのでは なく、「値を知る智恵が、我々にない」からなのです。 『南無阿弥陀仏』のもの凄い働きを知られた蓮如上人は、 「無上甚深の功徳利益の広大なること、極まりがない」 と言われています。これは無論、蓮如上人の私見や独断で はなく、釈迦・親鸞聖人のご教導どおり知らされられての 明言です。 親鸞会では、正しい親鸞聖人の教えを聞くことができます。 親鸞会のことをもっとお知りになりたい方は、ホームページを 参照してください。